鏡花臨終の「番町の家」、辞世の句、戒名、お墓など


鏡花自宅、番町の家。鏡花の書斎は二階にあった。

鏡花は昭和十四年(1939年)九月七日午後二時四十五分に肺腫瘍により自宅で満六十五歳(数え年で享年六十七歳)の生涯を終えた。
麹町下六番町の自宅は「番町の家」と呼ばれ、明治四十三年五月から住み始め、終の棲家となったが、臨終は 笹川臨風・柳田国男・久保田万太郎・小村雪岱・里見弴らが見守った。

鏡花は七月から病床に就いていたが、当日はめずらしく食欲を訴え、麦飯と大好物の味噌汁で遅めの朝食を摂ったが、それが最後の食事となった。容態の急変が主治医により予知されたたため、夫人は向かい家の里見家に事態を伝え、急を聞き駆けつけた人々に見守られたのだ。

九月十日に芝青松寺で葬儀が営まれ、雑司ヶ谷霊園に葬られました。

鏡花の辞世

鏡花の辞世の句は

「露草や赤のまんまもなつかしき」

鏡花は書斎次の間の物干し台でこれらの草花を大切に育てていましたが、葬儀の棺に愛用の眼鏡など遺愛の品の一部とともに納められました。

鏡花の戒名

鏡花の戒名は
幽玄院鏡花日彩居士

命名経緯は、佐藤春夫が「妙文院水月鏡花居士」と「幻妙院鏡花日彩居士」の二案を作成しましたが、前者を徳田秋聲が「聊か通俗」と評し、後者に決まりかけたものの、「妙」は男性の戒名には使わないとの指摘があり「幽幻院鏡花日彩居士」になったそうです。

鏡花のお墓


出典:トリップアドバオザー

お墓は雑司ヶ谷霊園 (〒171-0022 東京都豊島区南池袋4-25-1)にあり、墓石には「鏡花泉京太郎墓」と刻まれています。

 

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