泉鏡花

泉鏡花

鏡花の文学観は単純、結果がすべてということ

鏡花が自分の文学観を表明したものはあまり多くありません。 当時の明治文壇は自然主義が主流で、鏡花は少し古いと思われていたのかもしれません。いわゆる西洋かぶれといえるものです。 自然主義は「文学はこうあるべし」という論でしたが、鏡...
泉鏡花

鏡花は向かい干支の卯(うさぎ)にこだわり生涯コレクションしました

鏡花が生涯に渡って「うさぎ」の品を愛して、大量にコレクションしていたのは有名です。 「鏡花は西年でした。自分の干支から数えて七番目のものをもつとその人のお守りになるのだそうで、鏡花のおかあさんが子どもの鏡花に掌中にのる水晶の兎...
泉鏡花

鏡花と尾崎紅葉・樋口一葉・芥川龍之介・小村雪岱などの時代関係

鏡花とその周辺で縁があった人々との関係を、その生没年でまとめてみました。 こうすると主観が入りませんし、視覚的に生きていた時代関係が分かります。最年長は森鷗外ですが、最年少は芥川龍之介で鏡花とは二回り近く違うんですね。知りませんでした...
筆跡ほか

鏡花の書は清明でやさしい、識語と俳句短冊や自筆原稿から

鏡花はどのような文字を書いたのだろうか? 識語にせよ短冊にせよ、清明な感じがします。 尾崎紅葉「此ぬし」[明治23年(1890)]の識語 紅葉自筆原稿の前に、鏡花の識語(写本・刊本などで、本文のあと、または前に、書写・入手の由来や...
泉鏡花

鏡花臨終の「番町の家」、辞世の句、戒名、お墓など

鏡花自宅、番町の家。鏡花の書斎は二階にあった。 鏡花は昭和十四年(1939年)九月七日午後二時四十五分に肺腫瘍により自宅で満六十五歳(数え年で享年六十七歳)の生涯を終えた。 麹町下六番町の自宅は「番町の家」と呼ばれ、明治四十三年...
タイトルとURLをコピーしました