橋口 五葉の作品一覧

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橋口 五葉

1881年(明治14年)12月21日に薩摩藩で漢方医を勤めていた橋口兼満の三男として生まれる。本名は橋口清。画号の「五葉」は自宅にあり地域のランドマークともなっていた五葉松にちなむ。1899年に上京して橋本雅邦に日本画を学ぶが、まもなく洋画に転じて東京美術学校へ進み、1905年に西洋画科を首席で卒業。在学中より雑誌「ホトトギス」に挿絵を描き、それが夏目漱石に認められ『吾輩ハ猫デアル』の装丁を手掛け、以降『行人』まで漱石の著作の装幀をつとめる。漱石以外にも、泉鏡花、鈴木三重吉、森鷗外、永井荷風、谷崎潤一郎の作品の装幀も手がける。この頃、籾山書店の叢書のための蝶をモチーフにしたデザインは胡蝶本と愛称され有名になった。
1911年には三越呉服店の懸賞ポスターに応募した「此美人」が第一等に選ばれる。
大正期になると、学生時代から興味を持っていた浮世絵研究を本格的に始め、版元・渡邊庄三郎の新版画運動に参加する。
その記念すべき第一作は1915年の「浴場の女」である。
1920年に、版元を離れ独立して制作を志すが翌1921年・41歳で髄膜炎にて早世。享年は数えで41歳。
生前に刊行された版画作品は渡邊版も含めてもわずか17点、没後に版木が受け継がれ完成した作品も7点に過ぎない。モダンでエロティシズム漂う美人画から「大正の歌麿」と称された。

装幀作品

鏡花作品


「相合傘」 大正3年(1914年)個人蔵(千葉市美術館寄託)

その他作家

夏目漱石


『虞美人草』(夏目漱石著)1907年 個人蔵(千葉市美術館寄託)

久保田万太郎

『浅草』(籾山書店)明治45年2月初版

絵画およびポスター作品


「黄薔薇」 1912年 個人蔵


《鳶巣山》1910年のスケッチブックより 個人蔵


《孔雀と印度女》1907年
個人蔵(鹿児島県歴史資料センター黎明館寄託)


橋口五葉《爪を切る女》制作年不詳 鹿児島市立美術館蔵


「此美人」石版画

版画作品一覧

生前刊行作品


「浴場の女」 木版 紙、大正4年(1915年)


「化粧の女」 木版 紙、大正7年(1918年)


「髪梳る女」 木版 紙、大正9年(1920年)


「浴後の女」 木版 紙、大正9年(1920年)


「長襦袢の女」 大正9年(1920年)


「題名不明」 大正9年(1920年)

没後刊行作品


「温泉宿」木版、紙、大正9年(1920年)完成は昭和27年(1952年)。五葉の甥・橋口康雄が主版のみ完成していた本作に、多色刷りを加えて版画化した作品。そのため、五葉生前の作に比べると印象がやや異なる。

美術展歴

生誕130年 橋口五葉展 千葉市美術館 2011年6月14日-7月31日

↓↓ 橋口五葉の生前発表の全作展示【動画あり】

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